2024.10.18

デザインの良し悪しについて思うこと。

少人数のデザインプロダクションからキャリアを積み始めた私は、しっかりとしたデザイン教育を受けたことがなかったこともあり、デザインというものはひたすら格好良くなければダメだ!とかたくなに信じておりました・・・。しかもその格好良さとは、主観からくる思い込みであるにもかかわらず、そのことには全く気付かずどこまでもスタイリッシュに!などと浮き足だって職務に邁進していた日々が懐かしく思い出されます。

デザインの勉強をするために購入した本も、技術的なことを教えてくれるものばかり選択していたような気がします。もし、もう少し早く後述することに気づくことができれば、全く違ったアプローチで仕事が進められたのではないかと振り返ったりもします。

とどのつまりデザインとは「コミュニケーション」であり、伝えたい事柄をターゲット層に分かり易く・確実に・好印象(フィアアピールもありますが・・・)をもって受け取ってもらうための手段であり、誰のためのデザインなのかを常に意識する必要があります。ですので、ひたすらカッコイイデザインを!と考えていた未熟さには赤面してしまいます。

クライアントの要望をしっかりと噛み砕き、理解を深め、再構築していく作業の中で、何を伝えたいのか、どのように伝えれば良いのかを考えていると、おのずとアイデアが浮かび上がってきます。後はそれを形にしていく作業に入る訳ですが、実際は考える時間が大半を占め、作業時間は非常に短かったりもします。

それは、エネルギー

さて、何故ブランド品は高額なのか・・・。

歴史に価値があるのは、過ぎ去った日々に価値があるのでは無く、先人の様々な努力とそれに伴う行程の先に形作られたものに価値が宿る訳で、既存の価値観を是とせず果敢に新たな価値を創り出すその果てに結実した結晶、そこに人々の尊敬・畏敬の念が集まり、その集積がブランドとしてのエクイティを形作っていくに違いありません。それは当然対価として高額になり得ますが、そこから発せられるエネルギーを感じ取る感性を磨くことで、デザインのみならず、対象の良し悪しの判断が的確にできる様になる気がします。

このように、触れるだけでも自分を磨いてくれるような、そんなエネルギーを放つ“もの”を所持することがブランド品を持つ意義だと思いますし、それがブランドを身に纏う高揚感にも繋がっているのではないかとも思われます。

時にはステイタスに関わったりもするため、俗人的なニュアンスを含む使われ方をされてしまうのも、その存在感のなせる技なのかもしれません。

さて、ひるがえって良いデザインというものは、そのエネルギーを強く放出しており、それがあの独特な凜とした雰囲気になっているのかなとも思います。

街を歩いてふと目にするポスターや、商品パッケージ、ほんの小さなPOPでも力強く語りかけてくる存在があったならば、それはきっとクリエイターの強烈なエネルギーが顕現されたもの。面白いことに、好みではないデザインや写真でも、どうも気になって見入ってしまう作品というものが存在します。それも、そのクリエイターの強烈な対話力であり、あふれ出る人間力の表出だと感じます。

さてさて、そんなパワーを感じられたのなら受け手側の印象は皆違っても、それは良いデザインなのではないかと思うのであります。

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